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京都大学防災研究所:気象・水象災害研究部門:水文気象災害研究分野
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バングラデシュ北東部の氾濫湖周辺の環境調査と住民生活
:研究の背景:研究の概要:主な研究結果:関連研究論文等
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研究の背景バングラデシュ北東部の一部では,インド領内の急峻な山岳地域から流入する河川によってフラッシュ・フラッドと呼ばれる洪水現象が引き起こされ,雨季にはハオール(Haor)と呼ばれる大きな氾濫湖が発生し、農地や牧草地は水没する。ハオール周辺地域では,これまでにもフラッシュ・フラッドにより多くの被害がもたらされてきたが,このフラッシュ・フラッドそのものが直接被害をもたらす地域と,フラッシュ・フラッドがハオールに流入し,その水位が上昇することによって被害を受ける地域がある.このように洪水は多大な被害をもたらすが,その発生形態が異なるので地域住民が体験している洪水実態や洪水に対する住民の対策は異なることが予想される.
 一方,地域住民はハオールからさまざまな恩恵を受けている.例えば,ハオールでは雨季に内水漁業が行われ,住民の大きな収入源となっている.また,氾濫によって運ばれてくる土砂の堆積は乾季の耕作のための肥料分を供給しており,地域住民にとって頻繁に土砂が供給される土地での収穫が多いことが認識されている.さらに,農業の近代化に伴い,稲作等における化成肥料や農薬の使用量の増加が今後予想される.また,バザール等での経済活動の発展は,住民の生活様式の変化を促し,ハオールに流入する汚濁物質の量は飛躍的に増大する.しかも,ハオール内部での流動は比較的緩やかであり,多くの物質が堆積しやすく,汚濁物質の蓄積が進み,日本でも見られる人為的影響による富栄養化が急速に進むことが懸念される.

 このように,バングラデシュの洪水現象とハオールの消長は地域住民の生活に対して正と負の効用をもたしている.それゆえ,災害・被害を最小化しながら,ハオールがもたらす効用とのバランスをとった洪水対策を計画・実施する必要があるとともに,ハオールの水質環境の保全は持続可能な生産や住民生活のために重要な課題となる.
 本調査では,バングラデシュ北東部の洪水氾濫の実態を把握するために,ハオール周辺住民を対象として実施した聞き取り調査のうち特に生産活動と住民の収入およびハオールと流入河川の水質調査についてまとめた.

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研究の概要
1)3つのハオールの周辺集落について,毎年冠水する地区と冠水頻度の少ない地区を分離するために,ハオールを中心にして同心円上に存在する周辺集落を対象とした.前者をAreaT,後者をAreaUとする.
2)洪水のタイプや頻度,洪水対策や政府機関等の支援,ハオールにおける住民活動,ハオール周辺住民の生業と収入等の項目について質問を整理したアンケートシートを作成し,これに基づいて対面方式で聞き取り調査を実施した.このうち,本報告では,ハオール周辺住民の農業・牧畜・漁業等の生業活動と収入を主に取り上げる.さらに、後述の水質観測と並行して周辺農地での施肥等の状況を聞き取り調査した.
3)ハオールおよびその流出入河川の採水を行い,簡易水質分析法により水質分析をおこなった。2000年8月の調査では,Hakaluki, Hail, Netroの3つのハオールの湖水について簡易型水質検査(パックテスト)による水質分析をおこなった.また2001年9月にはHakaluki & Hail Haorの湖水と流出入河川14河川の採水をおこない同様に水質分析を行った.また,Hakaluki Haorではハオール内の3つの地点で表層水と低層水を採水し,水質分析をおこなった.

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主な研究結果
[1]氾濫湖(ハオール)および流入河川の水質状況:
1)氾濫湖(ハオール)の湖水水質:
 全般的に,ハオールの水質は予想していた以上にきれいであり,流入する河川に比べてもきれいであった.これは,2000年および2001年の調査時期が雨季の終盤であり,ハオールが最大規模に拡がり,内部の流動は小さく,ハオールで多くの懸濁物が既に沈殿ていることが予想された.Hail HaorとHakaluki Haorの2回の採水水質を比較するとばらつきがある.Hakaluki Haorは200年の採水が沿岸から,2001年は船上からおこなったため200年の値が高くなっている.一方,Hail Haorは採水地点もほぼ同じであり,集落家屋から離れた地点であるが,CODとNH4-Nで2001年が高くなった.特に、NH4-Nは主に人および家畜の糞尿が汚染源であることを考えると,今後の水質変動を監視する必要は高い.簡易水質分析法では溶存態物質のみが分析対象であり,懸濁態物質定量されていないことを考慮して,総量で示されている日本の水質環境基準と比較すると,CODおよび栄養塩類で湖沼類型のC類型からD類型にあたり,水道水源や水浴には不適であり,工業用水・農業用水利用目的の湖沼の水質に相当する.琵琶湖南湖の最近の平均水質はCOD:3.0 mg/L,TP:0.018 mg/L,TN:0.4 mg/Lであり,環境基準類型のB類型に相当する.ハオールの水質はこれよりも劣ることが明らかとなった.
2)氾濫湖(ハオール)の流入河川水質:
 2001年にはHail HaorとHakaluki Haorの流出入河川の水質分析もおこなった.Hail Haorでは水田地域が拡がり農業用の小水路が網目状に存在する東岸域を除き,流出入河川が特定できる南岸・西岸・北岸の計11河川で採水をおこなった.Hakaluki Haorについては主要な流入河川であるJuriおよびKantinalaと北岸で接するKushiyara川の3河川およびKushiyara川から湖心に向かい南下した側線上でKushiyara川との合流部直前,観測塔近傍,ほぼ湖心と思われる地点の3地点で船上から表流水と低層水を採水した.
 Hail Haorの南岸では,インド領の山地から発するいくつかの河川がバングラデシュ領内の水田で覆われた低平地を通過してハオールに流入する.西岸は茶畑が多く存在し,段丘を下る小河川が非常に多く,今回の調査で総計46本の河川・水路を確認した.このうち,西岸3河川,南岸6河川,北岸2河川およびハオール湖水の水質分析の結果をFigure 3-5〜Figure 3-7に示す.ハオールの北岸には水位変化で流出入が変わる河川があるが,主要な流出河川はGopra川であった.全体的にはハオールの水質とほぼ同程度の河川が多いが,CODでは西岸のMoragan川,NH4-Nでは南岸のKhaika川の濃度が高い.また流出河川であるGopra川の水質は全水質項目でハオール湖水水質よりも低かった.
 Hakaluki Haorでは,南岸の流入河川Juri川から北岸の流出河川Kushiyara川までの南北軸上での水質変化や表層水・低層水での違いが見られるかを確認するために,船上からの採水をおこなった.結果をFigure 3-8〜Figure 3-10に示す.2001年9月の調査期間では,流入河川から湖水,流出河川に到る経路上での水質に大きな差異はなく,ほぼ均質な分布となった.また,表層水・低層水にも明確な違いは見られず,懸濁態がほぼ沈降し,完全混合状態で安定していることが確認された.雨季の増水期・減水期に同様の調査をおこなえば,水質分布が起きている可能性はある.また,一部の試水については乾燥物量とSS(Suspended Solid:浮遊物質量)も測定しており,今後,水質調査データを積み重ねることで,ハオールにおける懸濁態物質の沈殿量の推定や水質分布の把握が可能となろう.
3)今後のハオールの水質環境
 ハオール周辺の生産活動が今後増大すれば,さまざまな汚濁物質の発生し,ハオールの水質環境を変化させることが予想される.今回の調査では,農業生産を支える肥料散布とバザールでの生活排水について調査をおこなった.
 Hail Haorの東岸の集落で販売されている肥料について聞き取り調査をおこなった.販売されていた肥料は化成肥料は3種と天然のコンポスト1種であった(Figure 3-11).これら以外に非常に効果の高いGMと呼ばれる肥料があることがわかったがその成分等は確認できなかった.天然コンポスト肥料が最も安価であるが,農民は効果の高い化成肥料を選択する傾向にある.一般的な散布では窒素(N))とリン(TSP)を混合し,それぞれ標準的な使用量は15kg/エーカ-,10kg/エーカーであった.窒素肥料がもっとも高価であるが,これを使わないと収穫に大きな影響を及ぼすので,使わざるを得ず,農業収入を圧迫するひとつの要因となっている.詳細な肥料成分比率が明確でないので単純に比較することはできないが,日本の水田稲作の施肥量は農政部の指導書によると66kg/haであり,換算すると27kg/エーカーとなる.日本の水田稲作とほぼ同等の施肥がおこなわれていることになる.このような農地で散布された肥料の一部が継続的にハオールに流入することを考えると,ハオールにおける物質収支を明らかにすることが重要であり,水質・流況の両面からの調査が必要である.さらに,現時点では,除草剤等の農薬は使用されていないが,今後の土地の栄養状態や作付け品種の変化などに伴い,農薬の使用も考えられる.
 Srimangalバザールを通過するBulburia川に周辺建物からの排水が直接流入しており,悪臭を放っていた(Photo 3-1&Photo 3-2).流入していた排水水質を分析した結果,流入河川やハオールの水質よりも,CODでほぼ10倍,全溶存態窒素で60倍,全溶存態リンで120倍の値となった.他のバザールでも道路側溝はごみで埋もれており,生活排水・業務用排水が処理されているとは考えられない.雨季の大量の降水とハオールの消長が水と汚濁物質を毎年流し去ってしまうので,バザール市街地部でもある程度清浄に保たれ,流入したハオールでは希釈効果によって,現状の水質レベルになっているが,このような排水が流入し続け,さらにバザールでの活動が活発になれば,ますます膨大な汚濁物質が発生・流出し,河川およびハオールの水質へ大きな影響を与えることは間違いない.1970年代に琵琶湖等の湖沼水質の改善のために,下水道の整備と並行して導入された,発生源でのろ過程度の簡易な処理の導入でかなりの汚濁物質の削減が期待できる.バングラデシュの経済情勢等も考慮しながら,環境保全対策を今から始める必要がある.

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図1 ハオールの水質状況


図2 ハオールと流入河川の水質状況


図3 Hakaluki Haor内での水質変化


図4 バングラデシュ国内の肥料消費量


図5 生活排水と河川・氾濫湖水質比較
[2]氾濫湖周辺の住民生活:
1)洪水状況の聞き取り:
 Hail-Haor付近での聞き取り調査から,2001年のハオールの水位は平年よりやや高い程度で,水際線は集落から約200mのところに位置している.過去の最高水位は1993年に発生し,水は集落から約100mのところまで迫った.調査した集落の西には,フラッシュフラッドが流入する地点があり,そこでは,多くの土砂が堆積し,乾期には稲作が行われる.この場所の収穫は調査した集落より良好であり,フラッシュフラッドによって運ばれた土砂には稲作に適した栄養分が含まれていることが推定できた.調査した集落でも,雨季の水際線から約100m湖心に向かったゾーンまで,乾期には耕作が行われる.ここではBoro Riceが主に栽培されているが,過去最大の洪水災害で約75%の被害を受けたことがある.現在も,耕作されている一部の水田の水位は高く,稲穂が水面に出ている程度であった.Netro Haorでは,ハオールの周囲に建設された道路が堤防の役割を果たし,近年,水位が高くなりやすく,水位上昇の速度も速くなる傾向があり,住民生活への影響が変化し始めている.また,フラッシュ・フラッドはハオールの北部域で年に2〜3回程度発生する.Hakaluki-Haorでは2001年の水位が全年よりやや低かった.聞き取り調査によると,1999年から2000年にかけての洪水被害が大きく,水位観測塔の監視員の植えた稲も大きな被害を受けBoro Riceはほぼ全滅した.この被害はここ数年では最大の被害である.
 ハオール周辺で耕作される米の種類はAman,Aus,Boroの3種類が主である.Boro Riceは水没しやすい地域で植えられ,Aman Riceはほとんど水没しない地域で植えられるので.この三種類の米によって,耕作地域がうける洪水の被害や頻度を予想することができる.
2)ハオール周辺住民の生業と生活の実態:
 3つのハオール周辺で稲作に従事する農業労働者の多くは小作農であり,収穫のほぼ半分を小作料として地主に払っている.しかし,近年の肥料等の使用増加のため農業収入は減少傾向にある.また,農業収入は,氾濫の程度により,耕作地が長期間冠水した場合には収穫がゼロとなり,肥料等の費用の分だけ収入がマイナスになる場合もある.この場合,もっていた家畜を全て売り払うなどの緊急措置で生活を成り立たせている.

しかし農業収入は比較的安定したものであると,住民には認識されており,漁業等の労働よりも冠水しない土地での耕作を望む住民が多かった.農業と漁業による年間収入を,冠水頻度で分けたAreaTとU,および農業専従者・漁業専従者・兼業者に分けて集計した結果を図6に示す.過去十年程度を想定して平均的な年収と最大・最小の収入およびその年を聞き取った.数値が利用できたサンプル数はHakaluki HaorとHail Haorともに13件であり,それぞれの地域の代表性を論ずることは困難であるが,農業収入・漁業収入は専従・兼業を問わず,ともに高かった.冠水頻度の高いハオール近傍のAreaTでは農業専従者よりも漁業専従者の収入が高く,冠水頻度の相対的に低いAreaUでは,その逆となっており,水際に近い土地に住む住民ほど漁業への収入依存度は高い.Hakaluki HaorではAreaTの農業・漁業の兼業者の収入が最も高く,Hail HaorではAreaTの漁業専従者の収入が最も高かった.しかし,漁業収入については最大と最小の幅が大きく,住民が耕地を望む要因ともいえる.特に,Hakaluki HaorのAreaTの農業専従者の過去最低収入の平均値がマイナスであり,前述の1999年と1994年にはHakaluki Haorの周辺では大規模な稲作の被害が発生し,肥料代や地代等のために農業従事者は多大な損失を被っていた.また,専従者・兼業者を問わず,自家用のためだけに野菜等の畑作や漁業をしている従事者もあり,その場合には自給自足の家計運営がされており,極端に収入の少ない被験者もいた.今後,聞き取り調査のデータの詳細をさらに検討し,氾濫湖周辺住民の収入の実態を明らかにする必要がある.
 肥料の使用については,Hail HaorのAreaTの集落での聞き取り調査によると,祖父の世代から使用が始まり,ここ20年間で使用量が大幅に増加していることがわかり,バングラデシュ国内全体の肥料使用量の増加とも対応していることが確認できた(図4).

         図6 ハオール周辺地域住民の収入
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関連研究業績
【報告書】
☆Yoshinobu KIDO:Investigation of Lifestyle and Environmental Condition on the residents around Haors in the north-east of Bangladesh, Hydrological and Morphological Stydy of the Meghna River, Final Report of the Japan-Bangladesh Joint study Project on Floods, IFCDR BUET and JICA, pp.171-182, 2004.03.
☆城戸由能:バングラデシュ北東部の氾濫湖周辺住民を対象とした対面式聞き取り調査と周辺環境調査,バングラデシュ国における氾濫湖の消長に関する気象・水文学的研究[文部科学省科学研究費補助金・基盤研究(B)、代表:岡 太郎],2003.03.

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