中北英一:水資源問題とものづくり・人づくり,京都大学大学院工学研究科環境地球工学専攻創立10周年記念誌,2001.
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水資源問題とものづくり・人づくり
京都大学環境地球工学専攻
環境情報工学講座 助教授 中北英一
1.はじめに
水資源問題は,地球温暖化とならぶ21世紀の環境問題といわれている.一番の主要因として,人口増加による圧力をベースに語られている.ただ,それは地域ベースの気候や耕作特性や人々の考え方をベースに言われているものであるのだろうか?そこのところが,地球上の各地のものづくり,人づくりに関連する.それが,欧米の思考をベースにしたものであれば,的をはずしているかも知れない.的を得ているところ,はずしているところ.そこらを少し「ものづくり・ひとづり」をベースに考えたいと思っている.
勿論これが科学的にも人文・社会的にも,かつ地域的にも全球的にも相互に関連することはおおよそ後述するが,全てを包括的に述べることは,たとえそれを将来的には目指しているにせよ未だ醸造・敷衍が十分でない現段階の私の能力を遙かに越えることであるので,相互の関連を意識しながらも雑感を断片的ながら述べて行きたい.また,水資源とは「治水」・「利水」・「水環境」の側面また,「地域」,「地球規模」の側面を含むこととしたい.
2.水循環,気候変動,流域・社会に対する雑感
まず図1に「気候」−「水循環過程」−「流域・社会システム」の三者の関係につきそれぞれの変化を強調した形で私の頭に中にあるものを示している.この図は本論全体を通して,ある時は概念的に,ある時には具体的に補足して行きたいと思っている象徴的な図である.
図1.「気候」−「水循環過程」−「流域・社会システム」ならびにその変化の相互関係
まず,本論ではこれ以上あまり触れないが,水循環過程そのものは実は気候そのもの決定づける重要な自然的素過程である.その重要な要素である降水過程や大気−陸面過程に関する観測実験・モデル化が水文科学として人工衛星による地球観測の高度化とともにグローバルな科学として精力的に進められていることをまずは強調しておきたい.
さて,「気候」の定義には様々あるが,「水循環過程」や「流域・社会システム」を包み込む(アジア的発想?)あるいは規定・制限する(欧米的発想?)ものであり,温暖化の問題が指摘されるまでは少なくとも数世代の間は変化しないものとみなされてきた.したがって,これまでの水資源に関するの主題は下の四角で囲んだ「水循環過程」−「流域・社会システム」にあったと言える.また,その中で,より「安全」により「高度な科学技術の導入」をという形で,たとえば我が国では明治政府樹立以来「治水」・「利水」に関して進められてきた.と,ここまで述べた時点で視点が2つあることに気付く.一つは,より安全に,より高度にという視点であり,一つは地域をベースにした視点である.ところが,いまやそれぞれに関して何が欠如しているかという視点も議論されており,前者に関しては環境の視点であり,後者に関してはより地球規模的な視点である.
あえてもう一つの側面を言えば,よく言われる「物理帝国主義」ならびにそれをベースにした「科学技術」の終焉である.すなわち「分析的」・「演繹的」攻め方の終焉である.これは,水資源,水文科学一つの問題ではない.「分析的」・「演繹的」攻め方・視点は確かに大きな「安全」,「利便性」,「生活の向上」をもたらした.ただ,その副作用がでてきている,あるいはその副作用が「地域規模」かつ「地球規模」の形で大きく現れ,それが致命的になりつつある側面をもっているのは極めて我々が認識しないといけない事であるのは間違いない.ただ,だからといって「物理帝国主義」・「分析的」・「演繹的」をすべて捨てよという発想には私は組みしない.これらは,今後とも大きな土台であり続けるべきである.しかしである,これらの発想だけでは今後やって行けないのも極めて確かである.方法論としては複雑系等がはやっている(ただ,この視点は非線形,複雑システムと関連して「物理帝国主義」をベースに昔から議論されてきている課題である).
ちょっと,横道にそれたようである.「この「物理帝国主義」という文言が,環境問題と相容れぬもので,世界をせきまきした悪者であり,全て追っ払うべきだ」という世論に逆に危機感を抱いている.勿論,「分析的」・「演繹的」な進め方に限界があることを認識しなくてはいけない.これからは,それを越えた攻め方が絶対必要だという認識が必要であり,その方向でどんどん考えて行くべきである.すなわち,「分析的」・「演繹的」視点と共存する形で,今後我々がどのような新たな生き方をベースとすべきかとの考え方や概念,「物理帝国主義でない技術」としての方法論を構築して行く必要があるかを真摯に考えて行かなければならないということだと理解している.言い換えると,その中で,これまでの欧米の攻め方の中にも利用できる点は多々あることを理解しながら,それにも増して,アジアモンスーンに包まれている諸国の自然的ならびにそれをベースにした人文・社会的なベースを取り込んでゆく余地が多々あり,それらが総合的に現在の水資源問題の危機を乗り越えて行くすべを提示してくれる礎があると理解している.以下では,アジアモンスーンの影響下にある場をベースに,幾つかの具体的な断片を示しながら,日本,アジアモンスーンの場を中心に感慨をベースに述べて行きたいと思う.まだ,未熟故,結論はないことをご承知おき願いたい.
3.明治以来の我が国の治水・利水に対する雑感
明治政府が樹立されて以来,我が国は主にヨーロッパ(オランダ)の治水技術を取り入れ暴れ川の主に河道を中心に整備が進められ,さらには戦後の荒廃期の幾多の洪水災害の後,洪水防御だけでなく用水・電力を供給するためのダムの整備がアメリカTVAを参考にはかられてきた.また,一方では社会の変化に伴う災害の特性の変遷を経験しながら河道中心から流域へ,さらには流域環境へと考え方も推移してきている.これらの一連の取り組みは安全・水・エネルギーの供給を通して現在の日本を築いた大きな礎であったことという事実が確然と存在するし,河川工学,水文科学を通した様々な技術やそれを反映する技術者によって支えられてきたし,現在もそうである.またハードだけではなく,どれだけの出水・水位があるのかという量的な把握・予測のために,科学,技術もともに大きく進歩し,今では進歩してきた予測技術をベースに高度に水を管理する時代になり,管理に携わる技術者の責任が極めて重く心労の多いものになっている.人としての技術者冥利につきるという高い使命感が培われてきている.
そのような中,これまでの技術の進展に伴う副作用として河川技術に対する環境に対する功罪が議論されている.また一方では,全ての洪水を封じ込めることはできないと言う考えのもと,リスク管理の方向にも動いている.副作用の功罪に関しては,今後それを定量的に示すとともに,新たな視点の創出ならびにそれに向かうための技術の進展をはかる必要があるだろうし,そう言う方向に進む技術者(計画,管理ともに)の創出が必要だといえる.それが水資源学と言われるものなのだと思う.しかし,そうだからといってそれは副作用をもたらした大本を全て排除することとは同等ではないだろうとも考える.そこが,2.で述べた視点である.また,リスク管理に関しては,技術者だけでなく国民全体の意識改革も必要である.これも,人づくりである.
4.森林荒廃,保全,緑のダムに対する雑感
昨今「健全な水循環系」が叫ばれるとき,常に「森林保全」という言葉がでてくる.しかし,森林保全は最近だけの課題だけではなく,明治政府樹立以来の延々とした課題である.江戸時代終焉時には,建築用材,燃料として森林が伐採しきられて全国のあらゆるところで禿げ山が存在した.その後のひたすら植林が押し進められ,第2次大戦時に一時後退するものの,現在の我が国はそれがほぼ達せられている状態にあると考えられている.数百年ぶりに森林が甦ったといわれている.
それに伴って,頻繁に生じる表層崩壊が少なくなり災害に強くなったとも言われている,と同時に単発的に生じる深層崩壊・土石流災害による危機的な災害が表にでてきている.一方では,これだけ森林が甦ってもダムによって洪水が防がれているという事実も存在する.ただ,森林が甦る前に比べて大雨による直接的な出水は幾分かおさえられているかも知れないという議論がある.したがって,ダム無しで森林によって下流域の洪水氾濫を防御しきれるか,その頻度はどの程度かの定量的明確化を求められている時代でもある.逆に,低水時(渇水時といった方が象徴的であろうか)に森林は蒸発散によりそれがない場合より流域の水を奪って大気に戻す効果があることは否定できないようだ.何が,言いたいかというと,やはり,これらの様々な側面を持つ全ての効果を定量的におさえて議論しないといけないのだということである.ほとんどは,これまでの取り組みに肯定的な答えがでるかも知れないが,そうでない場合も部分的にはあるかも知れない.それとて,時代という背景のもと安全側への取り組みを必要としてきたことを認めないといけない.60年代,水資源,電力をとダムの建設を待望したのもマスコミである.洪水に対しても同じである.すなわち,それぞれの時代の考え方,新たな概念の創出により何を優先するかで定まる.二酸化炭素の場合は選択の余地がないであろう.しかし,森林だけを取りあげてそれが第一義的なステレオタイプ的につっぱしていいものでもない,森林一つにしても色々な視点からの吟味が必要だということを述べたかった.勿論,選択は定量的吟味に止まらず,社会の視点からも必要であるが(頻度は少ないながらも発生する深層崩れの危険な場所には住まないでおこうとか,森林が大気に戻す水資源ぐらいは節水しようとか).
ただ決して,忘れてはならないことがある.誰もが百も承知のことであるが.数百年ぶりに我が国の森林が甦ったと述べた.それは,絶え間ない植林の賜ではあるが,海外の多量の建築用資材等を輸入している賜(?)であることも確かである.穀物輸入とて同じである.なぜならば,海外で穀物生産に使われた水資源を我々は輸入しているのである.
5.アジアモンスーン雑感
アジアモンスーンは4月から10月にかけて南アジア・東南アジア・東アジアから我が国に至る範囲に多量の降水をもたらす季節風である.多量の降水をもたらすこと,しかもそれを恒常的に一定の季節にもたらすことにより,水田による集約的な米栽培を可能にし現在30億もの人々を養っている大本であり,それがこの地域を他の熱帯域とことなって人口密度の高い地域としている.このアジアモンスーンの卓越する地域(我が国もそうである)の内,メコンデルタを訪れる機会を2度得た.最初は乾季であり,2度目は雨季のしかも例年にない大洪水の直後であった.以下はこのたった2度のしかも各1週間程度の短期間の訪問による雑感である.
最初に訪問したのは,乾季の終わり間近の3月末であった.水位が低いながらもメコンデルタの懐の深さをまざまざと感じた訪問であった.水上交通の重要性の再認識,水上や果樹園の富裕層,デルタ水田地帯の貧困層,地主と小作,直播きの米の三期作,クリーンな環境,聡明さと明るさ,人なっつこさ,他のアジア諸国とは違う何となく日本人に近いと感じる人々,水運を通してのカンボジア国境の人・物資の往来,そして何よりもデルタ地帯の広大さと懐の深さである.特にベトナム領内のデルタ北東部のカンボジア国境に近い運河が整備された地域での子供達との出会いは強烈であった.親しげな雰囲気が存在する中,ビデオやデジタルカメラに写る彼ら自身の映像を珍しがって大人も子供も集まり,そのうち紙飛行機や折り鶴の講習会が始まった.折り紙の先生役をしているメンバーにはいつの間にかここに座れとばかりにイスが子供たちによって用意されていた.自分で最後まで頑張らねば気が済まぬ者,助けてとせがむ者,できずに泣きそうになる者,様々であり,子供の世界はどこも同じであった.このあたりは,土壌(ラテライト)の影響で水が酸性化されており,他に飲むものがない住民はそれを飲み水として利用せざるを得なく,利水上の大きな問題となっている.また,水田地帯ではあるのだがこのあたりの人たちは小作として稲作に従事しており,かなり貧困な層に属するとのことだった.そのため,栄養不足等の理由で,父母も子供たちも体格的に非常に幼く見え(不健康には見えない),年齢を聞いて驚くばかりであった.また,子供たちは(遠いので)学校へ行っていないそうで,読み書きができないとのことだった.しかし,極めて印象的だったことは,皆とても明るく人なつっこい.大人も子供も衣服に質素な華やかさがある.また,遊んで感じたことだがとても聡明である.我々の去り際,子供たちがよってきて「ここにずっといて」という言葉を我々に投げかけてくれた.たった1時間そこそこの交わりであったが,同行メンバー一同にとってはいろいろな意味で心を打たれた時間であった.いつかこの子たちと再会することはあるのだろうか?この子たちはこの地を出ず仕舞いでここで暮らし続けるのだろうか?この後運河を移動しながら見える様々な家を見ながら,こういった子たちがこのデルタ一帯にたくさん居るのだな,ここが彼らの世界なのだなと考えたり,同じ運河沿いにありながら制服を着た学校帰りの子供たちを眺めながら,この違いは何なんだろうと思ったりした.これらは,訪越メンバー共通の思いではなかったのかと今思う.
洪水直後の11月の訪問でもやはりこの地を訪れた.地元の人たちはどのような悲惨な顔つきでどのような生活をしているのか?そんなことを考えながらの再訪であった.3月には運河水面から数メートルも上方あった道路(堤防)上に彼らの家屋があったのだが,今回は堤防の天端がかすかに見え隠れするくらいの水位であたかも大海原にいるような状態であった.あ〜彼らはもう居なくなったのだ,なんて洪水は残酷なんだ...と思うのは急流河川しかない我が国の発想であった.彼らはもう少し高いところに数ヶ月の単位で避難して生活をしているという.我が国の感覚でみると,このような水位になったのだからどこかに流されてしまったのだと悲痛な感覚になる.しかし,メコンデルタの水位の上昇速度は一日に数センチ程度であり,ある意味では予測はいらないかも知れない.また,予測とて数日の単位であるならそれ程高度な計算処理をしなくても上下流の水位情報から行える部分も多々ある.目を周りにやると,水位より高いところに位置する家屋も多々ある.洪水期の水田(?)で漁をしている船も多く点在する.場所を変えて,水位が下がりそうなところでは,苗床が点在し,さらに水位が下がったところでは田植えが始まっている.また,上流のカンボジア国境には堤防が築かれているが,ある水位になるとベトナム側に氾濫水位が流れ込むようになっている.カンボジアへの配慮もあるかも知れないが(あまりないと思う),洪水は肥沃な土壌を運ぶし,多量の魚資源をもたらしてくれるから,流れ込むようにしてあるのだそうだ.そう言えば,寸前に訪れたカンボジアでもコルマタージュという,ある程度メコン河の水位が上がれば農地へ洪水流を受け入れる農法を見てきた.何が言いたいかというと,洪水直後の11月の訪問前には,人々はシリアスな顔をしているのだろうか,それとも逆の極端として笑顔が見られるのだろうか...それを見るのが,訪問の役割として与えられた水文調査以外の私の目的であった.答えは,笑顔であった.もちろん,避難生活は楽そうではない.むしろ客観的に見て厳しいそうである.しかし,それは非洪水時でも同じかも知れない.しかし,今回笑顔があった.これが,我が国にも共通する受容・忍耐何のだろうか...そんなことを思わされた再訪であった.
以上のように,メコンデルタの人々はモンスーンによる洪水を受け入れ,それと共存して生きている.明治以前の我が国もそうであったといえる.我が国はこのモンスーンという特徴的な地域に欧米の治水技術を導入し,かつ急流河川に特徴づけられるというクリティカルな場で利用技術を発展させてきたと言える.だが,はたしてそれが間違いであったといえるのか?我が国に関して言えば,間違いでなかったと思っている.誰がなんと言おうと,それが我が国の発展の礎であってきたことは確かである.一方,都市化された地域に関してはカンボジアでもベトナムでも絶対溢れさせないと言う方針で治水計画が進められている.しかし,それらより遙かに面積の大きいデルタの水田域で洪水を封じ込めるという発想はしていないようである.多くの人口を抱えているメコンデルタ領域においてである.ただ,貧富の差が愕然と存在する.しかし,そんな中,デルタの人々の笑顔がある.まだ,私に結論はない.まだまだ,雑感に過ぎない.ただ,考える土台を得たに過ぎない.
6.おわりに
以上雑感を述べた.上記してきたような,根本としての地域に依存する自然特性,それによって培われてきた歴史・文化,そしてそこからの文明・社会,それらをベースにした社会・自然の共存,水の量と質,これらのどれ一つの視点を欠いてもダメである.今の環境議論,地域的な自然特性やそれに根付いた歴史を無視していないか?そんなことを意識した,ステレオタイプでない水資源学が今後必要ではないかと持っている.いや,それが水資源学というものでだと.当たり前すぎた内容だったかも知れないが.