メコンデルタにおける河川水文データベースおよび

人間活動の河川環境への影響に関する調査報告

 

京都大学防災研究所 中北英一

 
 

1.はじめに

 ハノイを首都とするベトナム社会主義共和国は,面積33km2,日本から約3600 kmの距離にある.北部は亜熱帯気候に属するが,メコンデルタの存在する南部は熱帯モンスーン気候に属し,5月〜10月の雨期,11月〜4月の乾季の二つの季節がある.年平均気温は摂氏25度である.

 メコン川はチベット高原を源流にし,中国,ミャンマー,ラオス,タイ,カンボジアを通って,ベトナムで南シナ海に流れ込む,全長約4500 km,流域面積約81km2の国際河川である.そのうち,下流の約4.4 km2がメコンデルタと称され,約3.6km2がベトナム領内である.写真1に示すように,カンボジアの首都プノンペンから下流で2つの主河道を形成し,互いに連結しながらもそのままベトナム領内に流れ込み,左岸側主河道がTien(ティエン)河(前江),右岸側主河道はHau(ハウ)河(後江)と称されている.これらはさらに,9つ河口を通して南シナ海に流れ込み,九龍にたとえられている.

 

1 ベトナム領内のメコンデルタ略図と洪水時の浸水水位実績例

2.日程


日本調査旅行の行程は以下のようであった.

3月5日

3月6日 3月7日 3月8日 3月9日 3月10日 3月11日 3月12日 離越-帰日

3.雑感


本調査は,あえて水文データの取得に固執せず,メコンデルタの特性とそれと地域住民との関わり(生活スタイル,気質等の人間環境と相互関係)を理解・認識することに主眼をおき,所定の成果を得ている.以下それを概述する.

今回,我々調査団のお世話を頂いたのは,気象・水文研究所ならびに水文気象局の方々であるが,その所属名の通り,オペレーショナルな気象ならびに水文観測が一つの役所でしかもセクションの区別を設けずに行われている.まだ,観測システムの数が多くなく,技術も特化していないが故にこのような形が可能なのであろうが,水文気象に携わる者にとって理想の体系のように思える.

写真2 ホーチミン市から西に向かう国道一号線と次から次へと横断した支川

 さて,市内の交通は自転車ならびにバイクであったが,ホーチミン市から南西のミトー市に向かう国道一号線沿いでは,他のインターシティーの国道同様,バイクが主となる.自動車は,バス,マイクロバス,トラックが主で,自家用車は公用関係車以外はさほど見あたらなかった(写真2).ミトーからティエン河対岸のベンチェーにはフェリー(写真3)で渡る.乾季のこの時期,河口から約50kmに位置するこのあたりは感潮区間で,渡河時は逆流していた.

写真3 ミトーから対岸のベンチェーに向かうフェリーとティエン河(左に右岸のように見えるのは中洲状の島)

 フェリーに乗るには,長くて1時間程度待つ必要があるそうだそのため,ティエン河,ハウ河には超大橋が,オーストラリア,日本等の援助で建設中または計画中とのことだが,船で大河を渡る日常が無くなったとき人々の意識はどのように変わるのであろうか.たまに訪れかつ,じっくりと河を見ようとする我々のような者にとっては,建設中の超大橋が寂しいものと感じたが,これは手前勝手な思いであるのは確かである.

 さらに,フェリーでハウ河を渡り,右岸の町カントー(河口から約70km),上流のロンスィエン(河口から約140km),さらにはカンボジア国境に近いチャウドックを右岸沿いに訪れた.その後,再び下ってロンスィエンに戻った後,一挙にハウ河,ティエン河を東方に渡り,河口から約140kmのティエン河左岸の町カオランを訪れ,ホーチミンへ戻った.

 国境の町チャウドックの川沿いは非常ににぎやかで,国境を行き来する人や物資の賑わいを感じた.写真4は,このあたりで多数目にした水上の家である.富裕層が住まい,家屋の下では魚の養殖を行っていた.陸からは電線が渡り,テレビ等の家電製品がある.勿論,河岸沿いには貧富層の家も多数存在する.ここに,ベトナム最上流の水位観測所があった.

写真4 チャウドックに多数存在した水上の家

 最後に訪れたカオランには,気象観測所,水位観測所が配置されており,自記紙の水位記録は,この場所もこの時期感潮区間であることを物語っている.気象観測所は,日本の気象官署の観測点と考えればよい.ともに,常時スタッフが張り付いての観測が実施されている.このカオランの町は雨期に頻繁に浸水していた場所であったため,浸水を受けない町として計画的に再建設されているとのことであった.道路も広く新しい町であるとの印象を受けていたのはこのためであった.

 写真5 運河の中で洗濯する女性

  写真6 運河で遊ぶ子供たち

 さて,カオラン北方の水路網(灌漑並びに水運に用いられている)の整備された水田地帯ならびに鳥獣保護区を訪れた.途中,運河沿いの生活を見ることができた(写真5,6:ただ写真6はロンスェン対岸の運河).朝6時に出発してわざわざ訪れたこの地から,絶滅の危機にある渡り鳥が飛び立つのを待つ間の1時間弱,堤防沿いに存在する数件の民家の家族たちと接する時間を得た.船から堤防にあがった直後から親しげな雰囲気が存在する中,ビデオカメラやデジタルカメラに写る彼ら自身の映像を珍しがって大人も子供の集まり,そのうち,紙飛行機や折り鶴の講習会が始まった.折り紙の先生役をしているメンバーには,いつの間にかここに座れとばかりにイスが子供たちによって用意されていた.自分で最後まで頑張らねば気が済まぬ者,助けてとせがむ者,できずに泣きそうになる者,様々であり,子供の世界はどこも同じであった.

 このあたりは,土壌(ラテライト)の影響で水が酸性化されており,他に飲むものがない住民はそれを飲み水として利用せざるを得なく,利水上の大きな問題となっているそうだ.また,水田地帯ではあるのだがこのあたりの人たちは小作として稲作に従事しており,かなり貧困な層に属するとのことだった.そのため,栄養不足等の理由で,父母も子供たちも体格的に非常に幼く見え(不健康には見えない),年齢を聞いて驚くばかりであった.また,子供たちは学校へ行っていないそうで,読み書きができないとのことだった.しかし,極めて印象的だったことは,皆とても明るく人なつっこい.大人も子供も衣服に質素な華やかさがある.写真7からもそのことが伺える.また,遊んで感じたことだがとても聡明である.我々の去り際,子供たちがよってきて「ここにずっといて」という言葉を我々に投げかけてくれた.たった1時間そこそこの交わりであったが,参加メンバー一同にとってはいろいろな意味で心を打たれた時間であった(これが私にとって今回の訪越でもっとも印象深かったことである).いつかこの子たちと再会することはあるのだろうか?この子たちはこの地を出ず仕舞いでここで暮らし続けるのだろうか?この後運河を移動しながら見える様々な家を見ながら,こういった子たちがこのデルタ一帯にたくさん居るのだな,ここが彼らの世界なのだなと考えたり,同じ運河沿いにありながら制服を着た学校帰りの子供たちを眺めながら,この違いは何なんだろうと思ったりした.これらは,参加メンバー共通の思いではなかったのかと今思う.

写真7 水田地帯の子供たち(姉弟;姉は11歳)

 

4.おわりに


以上,専門的な報告と言うよりは雑感として今回訪越の第一印象だけを記した.総括すると,特に,所見ならびに印象を得たことは,水上交通の重要性の再認識,水上や果樹園の富裕層,デルタ水田地帯の貧困層,地主と小作,直播きの米の三期作,クリーンな環境,聡明さと明るさ,人なっつこさ,他のアジア諸国(自分は中国,韓国,台湾,タイの一部しか知らないが)とは違う何となく日本人に近いと感じる人々,水運を通してのカンボジア国境の人・物資の往来,そして何よりもデルタ地帯の広大さと懐の深さである.こういったことを徐々に強く感じながら,アメリカとの戦争を生き抜いた人々に対する尊敬の念を次第に深めた訪越であった.

 

 最後に,全行程我々にご同行いただいた,ベトナム水大気研究所のTran Thuc様,水文気象局のLe Thi Tam Thien, Le Xuan Lan様,ならびに日本側調査団メンバーの皆様,心より謝意を表します.また,本訪越は,平成10年度科学研究費補助金(国際学術研究)「東南アジア太平洋地域における近年の異常水文現象の実態把握と実効対策に関する研究」(代表:山梨大学竹内邦良教授)からサポートを頂きました.重ねて,謝意を表します.